2012年4月20日 (金)

GR-DV1が極寒の中

あの「ペンギン」のCMに続いてのコピー。 Dv120_2

「世界最小、最軽量、しかもデジタル画質」

「その誕生に世界中のビデオカメラが

目をまるくした」

「その小ささに驚く本体重量450g」

「その編集能力に驚く、8プログラムの

自動編集機能搭載再生ズーム、再生

エフェクトを駆使できる」

「12種類の演出効果、18種類の場面Dv110_2

切り替えを搭載」などなど・・・

そして極めつけは「パスポートサイズ」

だったのです。今ではパスポートが少し

小さくなりましたが、当時はご覧の大きさ。

この大きさだったらスキー場へ持って

行くのもいいかも。ただし気温が低いので

バッテリーの予備は必須だ。14年前の

撮影映像をご覧にいれよう。この頃は

CCD独特の垂直方向に筋のような光が

発生するスミア現象がでている。

2012年4月16日 (月)

いよいよデジタル

27年前のGR-C1は画像に帯磁のためか多少色が付いていますが、

撮像管もメカ系も完全に動いてくれました。確かこのムービーにもヘッドを

廻すためのベルトが付いているはずですが、それが今だ切れずにいるのが

不思議です。材料が良かったのでしょうか。かなり酷使してきたのにも

かかわらず、いまだ完動する世界最小最計量のGR-C1は家庭用ビデオ

ムービーの歴史に大きな足跡を残してくれました。

そしてC1が発売されて10年後の1995年!

2012年4月 9日 (月)

GR-C1は27年経って

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に影響 Grc12

されて 1985年に手に入れたGR-C1は、

その後の家庭用ビデオムービーの基礎を

築いたといえます。撮像管が超小型のCC

Dに変わり、アナログ録画がDVの登場で

デジタルへわずか9年ほどで大きく変革

していきました。

そんな中、あのGR-C1は1度も修理に

出すことなく動いてくれて小型機種への

買い替えの結果、押入れの中で

「記念碑」的な存在となりました。

オープンデッキ物語の中で1963年に

購入したTC-777Aが何とかメンテナ

ンスを続けて現役で動いていますが、

複雑な電子機器の塊であるビデオムーTc777a

ビーは技術者でもない私に修理も出来

ません。もちろんメーカーへ問い合わせ

ましたが、27年も経っている商品の

修理を受け付けてはもらえません。

でも、押入れから取り出したGR-C1は!

2012年4月 3日 (火)

CCD化とデジタル化

1980年に開発されたCCDはGrc7

1985年ごろから家庭用カメラ

に利用されるようになり、高画

質化と小型化に大きく貢献しました。

それまで大きな撮像管を使って

いたビデオムービーも小型に

なり、画質も大変良くなったのです。

カメラ本体だけでなく、記録方式

やビデオテープも改良が進んで

1987年S-VHSという高画質にGrs55_2

発展しました。

録画時間も当初20分だったものが

テープの進歩で40分までになり、

成熟期に入ったといえます。

そして次に大きな転換期が訪れた

のは1994年でした。

これまで「アナログ記録」であったVhsdv2_2

ビデオが「デジタル記録」になったのです。

「DV規格」です。当初は放送局の

記録用として開発されましたが、

小型化した「ミニDV」が作られ、

家庭用のビデオムービーに

大きな変革をもたらしました。

一つは画質が極端に良くなりました。Photo_4

これはCCDのカメラとの組み

合わせも功を奏したといえます。

またテープ自体が1/2インチの

VHSから1/4になりデジタル化

によって収録時間゛も標準で80分

まで可能となったのです。右の写真は

左がミニDVのメカ、右はVHS-CのPhoto_5

メカとの比較です。心臓部といえる

ヘッドの大きさがこれだけ違います。

そしてデジタル化に伴ってCCDを

はじめとした電子回路や超小型

テープメカニズムの開発により

家庭用ビデオムービーの小型化

競争が激化します。

ご覧のように

2012年3月31日 (土)

3管式から3CCDへ

1987年に発売されたGR-C1は2_2

「単管式」のカメラが内臓されていました。

この頃では最も進んでいた「サチコン」と

いう良発色、低残像の撮像管です。

放送局用テレビカメラは1965年ごろ

から作っていて、その頃から「3管式」

でした。赤、青、緑の3原色を独立してPhoto

取り込めるため、色再現性、高感度

だったからです。特にPC-80は

民放各局が好んで使っていました。

1台1800万しましたが。私が扱い

出した頃に230万という低価格のNu1003

NU-1003が発売され、業務市場

教育市場に導入されました。

これは式典を撮影中のところです。

放送局用や業務用の取材カメラは

かなりの重量でその取り扱いは

大変なものでした。

右はGR-C1の中に入っているGc_3

撮像管です。これだけのスペースを

とっています。

1980年代になってCCD(撮像素子)

が開発されカメラの構造も性能も

大きく変わりました。今ではC-MOS

が主流になっています。

撮像管の横にあるのがCCDの Photo_9

ユニットです。たった2センチ角の

中に撮像機能が入っています。

もっと細かく見ると7ミリ角の部分で

映像が捕らえられていることが

わかります。これは単に小さくなった

だけでなく、色再現性、高感度、

安定性、省電力などあらゆる面で Photo_10

すぐれており、もちろん局用カメラは

3枚のCCDを使った3CCD式の

カメラへと移行すると共に、家庭用の

一体型ビデオも大きく変わっていきました。

2012年3月30日 (金)

VHSの編集

8ミリの場合は以前にスプライサーのDsc_0098

使い方を動画でみてもらいました。

特にわたしのように10秒単位の短い

カットをつなぐ事の多い編集はビデオ

テープにとってとんでもない事だった

のです。最近の家庭用高級ビデオには

「フライイング消去ヘッド」なるものが

付いて、一時停止してもわずかな Photo_2

ノイズだけで画面をつなぐことが

出来ました。青い○は消去用のフラ

イングヘッド、赤い丸は録画ヘッド

です。ビデオテープへの記録は

回転するヘッドで映像を書き込むの

ですが、家庭用は固定したヘッドで

テープを消していくため、どうしても

書き込まれる映像と消去した映像Photo_3

の間に隙間が出来て「レインボー

ノイズ」と呼ばれる斜めの虹色の

ノイズが継ぎ目に残ってしまうのです。

今から25年前は「電子編集

機」といわれる1台50万近くする機種

にしか付いていませんでした。そのため

一般家庭では編集が出来ず、もっぱら

メーカーのビデオセンターで時間貸しのPhoto_4

設備を使う方が多くいました。

特に8ミリをしていた方はどうしても

編集にこだわる為多く来られました。

まれに家庭で編集をされるため

編集機材を納入しましたが、これ

だけで150万近くかかっています。Photo_5

但しこれら「電子編集機」では

1/15秒単位で細かい編集が全く

ノイズ無しに、また映像だけで

なく音声も編集が出来ました。

しかし、しよせんビデオ信号は

アナログで、編集やコピーする

たびに画質は劣化していきます。

おまけに私が手に入れたムービーGR-C1の時代はカメラの性能が

充分ではありませんでした。元の画質を上げない限り、いくら編集に

お金を掛けてもダメなのです。次はカメラの性能です。

GR-C1登場

「バックトゥザフューチャー」に登場したGrc13

「GR-C1」は重さ1.9kgのカメラ、ビデオ

一体型で、これまでのポータブル

ビデオの概念を大きく変えました。

これが8ミリからビデオへ移るきっかけ

となったのでした。

仕事柄多くの業務用カメラやビデオを

扱ってきましたが1985年の年末、

我が家にビデオカメラがきました。

これまで使っていたキャノンの

1014XL-Sはもっぱらアニメの

制作に使うようになりました。

この頃はまだビデオシステムと

してアニメ用にコマ撮りできる機械が

無かったのです。2

本体、充電器、バッテリー、テープ

一式そろえていよいよ撮影開始です。

このカメラで1987年8月に撮影した

映像をこらんに入れます。マスター

テープから子テープを2本作り、

それを業務用の電子編集機を使って

編集しています。オーバーラップのGrc1

部分がありますが、その為です。

画像が甘いのは孫テープになって

いるからです。この頃はアナログ

コピーなので、画質はどんどん劣化

していきました。そしてビデオ化した

のは良かったのですが、あとで

編集作業が大変なことに気がつく

のでした。

2012年3月27日 (火)

バック・トゥ・ザ・フューチャー

スターウォズに影響を受けた我が家のBttf

子供たちは、その後SFを好むように

なり、1982年のET、1984年の

ターミネーター、そして1985年から

3シリーズ続いた「バック・トゥ・ザ・

フューチャー」にもはまり込みました。

この頃になると映画のビデオソフトも

VHSで発売されるようになりました。Bttfdvd

もちろん今ではDVDの3枚組を手に

入れています。そして、この映画の

中に「ハンディ・カム」とか「カム・コー

ダー」と呼ばれるカメラとビデオが

一体化した物が登場しました。

それも何とか手の届く価格です。

2012年3月25日 (日)

カセットビデオテープ

昨年ブログで紹介したオープンテープNhkvtr

デッキの話の中で、1960年ごろNHK

のスタジオへ訪れた際、アンペックスの

ビデオと出会いました。これは2インチの

オープンテープを使っていてヘッドが

たてに回っていたと思います。

ヘッドにテープを吸い付けるための

コンプレッサーと吸い込みの音がUmatic

印象的でした。このビデオは2500万

したと思われます。2インチから1インチへ

そして1970年「Uマチック規格」と

呼ばれる3/4インチ巾のカセットテープを

使ったビデオが各社から発売され私も

それを扱うことになります。この規格は

当初ENG(エレクトリック・ニュース

ギャザリング)用として放送局の取材Cr85800

用として広がりました。2インチには

及ばないものの、そこそこの画質で

放送局やプロダクションに編集シス

テムと一緒に納入したり、取材用に

カメラとセットでの納入が中心でした。

ただご覧のように本体が100万を

越し、ポータブルのセットでも34_2

200万近くしました。

そのため、放送以外では結婚式の

記録など業務用が中心でした。

それでも教育関係やお医者さんなど

個人での購入もありました。

写真は学校の運動会をUマチックで

取材中のものです。百万以上もする

ビデオと1本1万円するビデオテープのPhoto_2

システムではなかなか一般には普及

しませんでした。しかし1975年に

VHS規格のビデオが開発されて、

その後ほとんどの家庭にビデオが

入ってきました。もちろんテレビ番組を

撮ると共に、8ミリに代わる記録

媒体として注目を浴びることにHr4100

なります。と言っても当初のポータ

ブル機はご覧のように高価で重く

「編集」となるとまず個人のレベル

では不可能でした。

そのため、ビデオを扱っている私で

すら1985年まで8ミリを廻して

いたのです。そしてついに8ミリから

切り替える時がきます。

2012年3月23日 (金)

ビデオの風

こうして8ミリもサウンドになりそれなりのDsc_0101_2

機材もそろって色々な映像に接する

機会が増えましたが、なにぶん8ミリは

たった3分のフィルムを現像費を入れると

3千円近くかかり、長編を編集していくと

フィルムの1/3はゴミと化しました。

なんと30分のフィルムに4万5千円もの

お金をつぎ込んでいることになります。Kv810

実はキャノンの1014XL-Sを使い

始めた10年前から「ビデオ機器」に

かかわっていました。

その頃ビデオはまだ一般的では

なく大変高価でした。販売先はテレビ

の放送が自由に見れないお医者 Fv3500_2

さんや教育、研究機関がほとんどで

変わり種としては「ホテル」での

日活ロマンポルノビデオの再生用

というのもありました。この時期

1970年にはまだ各社ビデオの規格

が統一されておらず1本1万円も

する「オープンテープ」を使ってPv4800

いたのです。ビデオ本体の価格は

カラーで40万、重さも30キロ近く

ありました。1970年にようやく

「統一Ⅰ型」と呼ばれるオープンの

ビデオが各社から発売されましたが

それでもカラー据え置き型が28万

ポータブルにいたってはカメラと

本体その他で100万円近くしました。

もちろん個人で買える代物では無く

8ミリに代わるものでもなかったのでした。

«8ミリのスターウォーズ